手放してリスタート その1

徐々に我が家の大きな桜の木にも蕾がつき、だんだんと春の気配が漂っていますが、みなさん体調など崩されていませんか?

私は、と言いますと…。

今月のひな祭り、3/3から久々の高熱を出し、39.3度まで燃焼してデトックス祭りでした(;’∀’)

 

3日が日曜日だったので、とりあえず4日はお休みしようとすぐ決め、自己治癒力でごろごろ休めば治るやろ…と思っていたのですが。

一応37.8度には下がったものの、頭痛は消えず翌5日もまだ微熱が続いていたのでお休み。

再びひたすら一日ごろごろして貯めまくっていた録画の映画を見放題(笑)

 

で、一旦6日水曜日に出社したんです。

そしたら咳がごほごほ出だして、やっぱりまだ本調子ではなく、まぁしょうがないと思っていたら思いっきりぶり返しましたー(一∀一)

 

ついに観念して7日木曜日に再び休んで病院へ。
扁桃腺でした。

そして「来るのが3日遅い」と注意されました(笑)

 

で、10日日曜日には我が愛しの源さんのドームツアーファイナル、ヤフオクドームでのライブが控えていたので、なんとしてもこれには参加するべく大事を取って金曜日も休むことに。

もともとのシフトが月曜は休みだったので、なんと7日木曜から11日月曜まで5連休!!!

 

その前に発熱した3日から5日も休んでるので、6日水曜日を除いて1週間以上のお休みという驚異の春休みを満喫(?)したのでした。

 

あ、無事源さんのライブには行けましたよ!!
いや~~~、良かったです(´▽`)

 

 

潜在意識と繋がる

 

体調的には正直3日の夜とか本当に死ぬかと思ったんですけども(笑)

今回の大々的体調不良は精神的には全然落ちていなくて、むしろ
「やっと来た~~~~~~~~!!!!」
という感じだったんです。

 

というのも、この冬ずーーーーーーっとふとした瞬間に

「あーーー…程よく体調不良になってごろごろ時間に追われず映画見たい…
というか【無】になる時間が欲しい…」

という想いがよぎっていたんです。

 

それがひと冬じっくりかけて顕在意識から潜在意識へ染み込み、ついに実現してくれたというわけですね!!

 

有休もかなり溜まっていたのもありますが、これまでだったら会社の同僚や上司を気にして「早く治らねば」と焦っていたと思うのですが、何となくこれまでの積み重ねの関係の中で

「変に嫌味な考えをする人は誰もいないし仕事も繁忙期であってもそこまで支障はないはず。だからきっと大丈夫。」

という信頼もありましたし、

「とにかく自分の心身の欲求を叶えてあげよう」
「同僚や上司、家族に甘えてみよう」

という気持ちに素直になれたんですよね。

 

お休みの電話をする時はまだ完全に振り切れたという訳ではないので多少ドキドキはしましたが、それでも予想通りスムーズにお休みと相成りました。

そして、念願の怠惰の極み(笑)
大人の春休みタイム( ̄∀ ̄)

 

熱が下がると「自分のお仕事しようかな」と若干欲が出たのですが、頭痛と眩暈は残っていて、ぜんっっっぜん思考が働かないんですよね(笑)

もう本当に強制休業!!!って感じでした( ̄д ̄)

これくらいしないと私の顕在意識は納得しなかったらしいです(笑)

体よ、ありがとう…。

 

でも、おかげでぼんやりと自分の根本的な音楽への想いってなんだろうと自然と心に問うゆとりもできたんです。

 

これまでもそんな問いかけは何度となくしていて、その時はワーク的に頭で思考が働いて社会的な貢献とか、一気にそういう高い次元まで昇華させないと、と焦りが出てきていたんですけど、今回はかなり本能的な部分にフォーカスできて、そこを一番大切に感じる時間が取れたんです。

 

よく、こういう自営業というかビジネスをしようとなるとよく聞くキーワードとして

【誰のために?】
【何のために?】
【何故私が?】

の3つの問いに答えることで具体的にしていくというアプローチがあります。

これはきっと誰もが一生自分に問い続けて、そのたびに今の自分に合わせてアップデートしていくものなんだと思います。

 

でも、私はそういう形式的なものに取り組むとつい学生時代の「きちんとした回答を出さねば!」と力んでしまうみたいなんですよね。

そんなきっちり張り切ってやる事が功を奏するタイミングもきっとあるんでしょうし、これまでにもあったんでしょうけど、そればっかりだとやはりバランスを崩すようで。

自分の本音、特に本能的な想いみたいな脳でいう海馬の様な一番の核となる部分を忘れて、大脳新皮質の様な世間的に表出する部分の型を作って固めることにばかり気がとられていたんだと思います。

恐らく長年の長子の優等生気質が板につきすぎてるんですね。

 

だから、当初は本当に素直にやりたいと思ったことでも、時間に追われたりタスクが増えてくると【want】が【must】になってしまって、だんだんと義務感ばかりになってわくわく感が消え去り、だんだん取り組むのが億劫になって、そのできない自分にもイライラし、自己嫌悪…

というのが、これまでの自分の失敗パターンだったんだな~ということも感じられました。

【want→mustループ】という長年の自分への疑問がようやく解け始めました。

 

その後回復して12日火曜からは出勤再開して、歌やピアノや二胡の練習も始めたものの、まだ自分のお仕事までは手を回せませんでした。

それよりも、
「まず自分と向き合いたい。その上でないとまた【want→mustループ】に陥る」
ということだけは確信していたんです。

 

そうしてまずは小さな子どもに問いかけるように「なんで歌うの?」と聞いてみました。

【誰のために?】
【何のために?】
【何故私が?】

の【何のために?】をとってもやさしい言い方にした問いかけですね。

すると

 

鼻歌レベルを含めて気付いたら歌っている。
呼吸と同じ。理由を問うようなものですらない。

でも強いていうなら
「歌わないと死んじゃうから。」
呼吸しないと死んじゃうのと同じ。

つまり、
【歌うこと=生きること】

 

という答えが返ってきたんです。

そしたら、
「あ、そっか。そうよねー。生理現象として呼吸しないと死ぬよねー。」
という感じでとても当たり前なことが改めて実は大事なことだったと認識できたような感覚になりました。

最早生理現象だったんですね(笑)

そして、このとても当たり前なことをもっと実感して楽しみたかったんだと思い出せました。

 

体が前かがみで肺がつぶれて呼吸が浅くなってしまっていたところを、姿勢を正して体いっぱいに深呼吸して新鮮な空気を全身に行き渡らせて、もっと呼吸することを大切にしたい、と感じたみたいな感覚ですかね。

 

そこからさらに

【誰のために?】
【何のために?】
【何故私が?】

の超やさしい問いかけシリーズを続けて、

「歌で何を届けたいの?何を表現したいの?」
→【何のために?】

 

「この歌声を誰と共有したいの?
誰に聴いて欲しいの?
ライブ会場に来るファンはどんな人達?」
→【誰のために?】

 

「何故わざわざ日々の練習とかレッスンとか
活動をしてでも歌を聴いてもらいたいの?

なんで趣味程度で楽しむとかではなくて、
本格的にプロ意識をもって
音楽活動をしていきたいの?」
→【何故私が?】

と思いつくままに聴き、答えていきました。

 

 

2019年春の自分の声

 

敢えてやさし~~い表現で問いかけ、より素の、核にある純粋な想いをすくうように応えていくことで、だんだん今の自分の【潜在意識=魂】が感じていることが見えてきました。

それを今回は皆さんにもシェアすることで私という人間を知って頂き、かつご自身にも問いかけるきっかけにして頂けたら嬉しいです(´▽`)

 

【1.誰のために?】

・自分の人となりを知ってくれている人、知りたいと思ってくれている人。

=お互いに興味関心を抱ける人。
もっと相手を知りたい、仲良くなりたい、末永くご縁を繋ぎたいと感じられる人。

・お互いに切磋琢磨しあい、時に支え合い助け合い、世界や人生を明るく豊かに生きたいと感じ、日々実践している人。

・自分も他者も、ポテンシャルのフィルターで人を見られる人。

・自分も他者も信頼する心意気のある人。

・自分を大切にし、その上で他者も大切にして尊重し合える人。

・マナーを守り、誠実で温かい心を持つ人。

・幸せを独り占めせず分かち合い、循環しあう人。

・上記の様な人でありたいと思い行動している人。

 

【2.何のために?】

*歌うこと=生きることだから。

気付いたら歌っている(鼻歌含む)。呼吸と同じ。理由を問うようなものですらない。
強いていうなら「歌わないと死んじゃうから。」(呼吸しないと死んじゃうのと同じ。)

 

*新陳代謝のため。

内にあるものを声に乗せて外に出すことで、自分自身を浄化し、癒したいから。
睡眠と同じ。自己治癒の一つ。

そしてそれは聴いている他者にも同じ効果がある。そこが歌の素敵なところ。

睡眠は自分自身しか回復しないけど、歌は自分も聴いてくれる人達みんなも一緒に回復し、癒され、潤い、浄化されるものだから。

 

*自分自身と、そして他者と深く繋がりたいから。

電車で言う所の「特急 体発 心経由 魂行き」みたいなものだから。

頭(理性、思考)という柵を超えて、非言語で極めてダイレクトに自分と他者の魂を繋げ、共有することができる、自分にとってのコミュニケーションツールだから。

何億分の1の確率で歌を通じて今あなたと繋がっているということや、音楽を共有しているという奇跡を分かち合い、お互いの命の輝きを祝福したい。
そしてこの世界を満喫したい。

日常的な言葉や文章では表現しきれない心の機微を、非言語なパーツ(リズムや音程)もフルに活かして情緒をこめて表現し、共有したい。

 

*生きていること=命を感じたいから。

今この瞬間、この場所で、自分という世界に一つの存在がここで生きているということを実感したいし、知ってほしい。

生きるということにおけるあらゆる感情を感じ尽くし、「生きている」という実感を得たい、命を感じたい。
どん底も味わい尽くし、でもただでは起きないという希望を見出して人生を進んでいきたい。

 

【3.何故私が?】

*私が私として生まれたから。

私の声は私にしか出せないから。この世に一つしかない声だから。
日々進化していきたいし、それを聴いてくれる人達にも成長ストーリーとして楽しんでもらいたいから。

 

*音楽を通して人生全般を見る視点を持てたから。

「声と向き合う=自分と向き合う」であり、歌い手として自分を磨くためのあらゆる練習や学びが、実は表現者だけではなく全人類が自分らしく彩り豊かに活き活きと生きるためのヒントでもあると気付いてしまったから。

(例:KPでの地声覚醒、レッスンでの気付き、整体やチャクラヒーリングでの体覚醒)

そしてそれを大切な仲間に伝えたいし、共有してみんなで幸せに生きたいから。

 

【さらに追加の問い 4.どうありたい?】

問1で繋がりたい人像のような人間でありたい。

【共に生きたい人=自分もそうありたい人物像】

【環境/他者=自分の鏡】なので、そういう仲間に囲まれている状況になったら、きっと自分もそういう人になってきているということ。


……
………

以上が今私が感じていることです。

ここには思考が生み出してくれる具体的な企画や予定も一切なく、あくまでもただ今この瞬間の私はこのように【感じている】という漠然としたものでしかありません。

 

でもこんな風に【どんな方法で何をするのか】を決めるすべての根底になければならない【どう感じているのか・どうありたいのか】という核=自分の本音を聴く時間をゆっくりとるということが

これから春に向けて具体的な行動をする上で絶対に必要だったから、盛大に高熱を出して思考を強制休業し、潜在意識にアクセスしやすい環境が用意されたのだと思います。

 

さて、こうして核が見えてきたということはその先につながる行動を、どんな想い、姿勢で取り組んでいくのか、ということになります。

つまり行動を選ぶための基準、価値観、優先順位みたいなものですね。

でもそれも、高熱を出す1週間ほど前に、すでに自分でヒントを準備していたのでした…。

ということで次回に続きます!!お楽しみに♪

 


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